ここ数日間、繰り返し下書き記事を書いては消しを繰り返して気付いた事

・思ったより「自分の内面を晒け出して人に伝える」という行為が好きではなかった
・自分は、自分が思っているより「意識して扇動的に、且つそれを楽しんで記事を書くタイプの書き手」とは異なっていた
→いくつか表現したい内容に対して記事のタイプを選ぼうとそもそも立ち上げ段階から思案しており、表現したい内容と人狼界の風潮からこれを選択しようと考えていたが、書き手側との相性、性質差が強い事が経験して分かった
→また記事公開から「これが読まれているのか」という謎の精神的負担を日常にて薄く感じている事に気付く(多分これまで人狼やっている方々と築いた関係性とこのタイプとの記事の相性があまり良くなく、印象管理の面で負荷になっているという感覚。「築く」という程関係強くは無いだろうけど)
・アクセスなんて殆ど無いにも関わらず、意外とブログを読まれている影響を薄く意識した書き方、生活を行っている
→これはTwitterでは無い現象で、書き捨てるような感覚で書く事が難しく記事作成のモチベーションをそぎ落とす要因の一つとなっている
・考えている内容を文章として表現する過程にて、表現したい事と実際の文章との間で乖離が生まれ出し、どういう理由かそれを現状解決しきれない

(名前出していいのか分からないですが、このブログに影響力が殆ど無い事から出して良いと判断しますが、)ツナマヨさんという方からチャット人狼において発言内容の拾い方について記事を書いてほしいという打診があったのでいずれ気が乗れば書きたいと思っています。
多分半分社交辞令までは行かないにしても、気軽に出たレベルの打診だと思うので気負わない程度にですが出来る限り取り組みます…