コミュ力人狼について

はじめに

これをコミュ力人狼と呼んでいいのか分からないですが、これまで具体的に言語化されるレベルでは無いにしてもこういう人狼スタイルがあると私たち人狼プレイヤーの多くは体感的に知っています。今回はその事について話して行きたいと思います。


コミュ力人狼とは

コミュ力人狼とは、「具体的に推理を当てたりそこまで生産的な事をその村内で言っている訳では無いにも関わらず、何か小難しい事を喋り、雰囲気強そうで考察してそうなオーラを纏う事で村目を取り指定位置や吊り位置から離れる、という人狼スタイル」の事です。
人狼というある種雰囲気でやっているゲームにおいては、明確な強さの指標と言う物が殆ど無く、結果「参加プレイヤーが強いと感じたかどうか」というとても曖昧な方法でプレイヤーのランク、レベルを決めるような風潮が存在します。なので、このような村目の取り方が存在し得てしまいます。


これは本当にいいの?

正直あまり良くない風潮だと思います。
理由としては、自分が思いつく範囲では大きく二つ程あります

①本質的に強い訳では無いプレイヤーを強いと評している状況であるため
②初級者クラスのプレイヤーが「強く見られたい」という欲求から、それを真似る環境を作ってしまうため

①については、そもそも人狼における強さとは何かという話に繋がると思うのですが、自分としては
・進行理解度が高く、適切に進行提案ができる人
・推理が正確で、人外を当てる確率が高い人
※村陣営視点での強さ指標
等が当てはまると考えています。
ですが、コミュ力人狼タイプは「そう見せかけているだけで、実際これに当てはまらない人であるにも関わらず強いと評され、且つ自分でも俺はそこそこ強いと思い込んでしまう」という弊害を生んでいる存在であると考えており、これはあまり良くない事だと感じています。


②については、①の延長線上としてある話で、少し慣れてきた初級者クラスのプレイヤー達が強いと言われているプレイヤーの雰囲気だけを真似しだし、推理力が伴っていないにも関わらずやたら強い口調で指摘する側に回ろうとしたり、強く見られたいという欲求を叶えるための発言で議論時間を取らせてしまったり、というプレイを助長する効果をもたらし、これもまたあまり良くない事だと感じています。

 

じゃあどうすればいいの?

①強さの本質を参加プレイヤー一人一人が見抜き、プレイヤーの「強い部分だけ」を適切に評価する
人狼社会において強いと認知されたい欲求をコントロールして参加する

①については、自分の認める強いプレイヤーを見てしまうと全てのプレイングを全肯定しがちになる人も居るので、間違っている箇所や冷静に考えると特に強くもない箇所について過度に持ち上げないように気をつける、といった対策になります。

②については、このような心理構造になっていると自認する事である種不当に?自己顕示欲を叶えようと言う心理を抑え、正当に強くなる事を目指すという対策になります。

 

 まとめ

コミュ力人狼はあまりお勧めしないので、強くなりたい人は順当に推理力を高めて行きましょう。自分も推理を外したり進行に迷う事が多いので頑張ります。